清水川 修
令和2年5月18日の太平山です。
翌日は標高1,171mの奥岳まで登りました。
19日は小雨で風が強く、奥岳山頂から秋田市方面の景色です。
旭又からの登山路の550m付近のミズナラの木につけられた電話線のための碍子(がいし)です。
太平山に残っている戦争遺産です。
陸軍は秋田市北部にある製油所が空襲されるという情報を得て、太平山山頂に見張り所を置き電話線を敷設しました。
昭和20年8月14日夜にB29の大部隊が飛来して多量の爆弾を落としていきました。爆撃は岩手県雫石でも響き、秋田市の火災で奥羽山脈は真っ赤に浮びあがったそうです。排気タービンのエンジンでレーダーを見ながら飛んでくる爆撃機群に対して、まさに元亀天正の戦いで臨んでいます。今も不発弾が時々出てきます。