仲 徳治
春本番で日光の下では少々汗ばむ様な陽気、「まん延防止等重点措置」の警戒期間、県またぎの往来が自粛。よって、近場のウオーキングで代用とし、江戸時代に開削された玉川上水の一部を歩いてきました。
西武拝島線の玉川上水駅で下車。駅の直ぐ南側を玉川上水が流れています。此処から両側が古木に覆われた緑道歩道が拝島まで続いており、新緑の葉に陽が遮られ散歩日和です。川幅は5m水深20cm位で羽村から玉川上水駅までは多摩川の水が来ています。約2時間、道程約7km、標高差26m、勾配は3.7/1000(1000m行って3.7mの勾配)、今から360年目前、江戸時代初期の頃の土木技術は意外に高かったようです。
此処から先の水は東村山浄水場に行き、下流の水は昭島の下水処理場の処理水が新宿御苑付近まで流れて行きます。拝島まではコンクリート擁壁になっており、昔の開削跡は見られませんでした。
川底は浅く、芥川龍之介がどうやって水に飛び込んだのか? 川の両側はお花畑。普段は雑草とひとくくりにしているが素晴らしい花園。所々に径50cm高さ20m以上の大木がありました。樹齢は100年以内と思います。開通当時の木は何処に行ったのだろう。
1時間位歩いた所で川の立体交差を見ました。左岸から残堀川が交差していきました。残堀川は瑞穂町から立川断層に沿ってながれ、立川市一番町で玉川上水を乗り越え、柴崎町で多摩川に合流する。最初は繋がっていたようですが、昭和38年に上水から切り離れました。
玉川上水と立体交差は残堀川だけ(珍しい風景)ですが、分水されているのは下流に向かい、砂川用水、柴崎用水、野火止用水、千川用水と続き、まるで親のすねをかじる息子達のよう、玉川上水の重要さが一層分かってきました。
歩いて行くと、玉川上水の一部に暗渠が有りました。南側には昭和の森ゴルフ練習場があります。この暗渠がなぜできたかは戦時中、ここに昭和飛行場の滑走路を造るため蓋をしたそうです。滑走路の完成前に終戦を迎えて、暗渠はそのまま残ったようです。
まもなく拝島線の踏切。見ると拝島線は単線でした。新宿~拝島間はJR中央線は480円で36分。西武線は440円で48分です。どちらを使うかはその時の気分?木陰の下を陽春の草花を見乍らの半日でした。
千手小橋より上流「こなら」の巨木が残っています。木立の中を流れる小川。此の様な風景が拝島まで続いています
見影橋付近の桜樹齢50年位。
上縮橋、左岸方向から残堀側川の交差点残堀側上玉川上水下合流しません。残堀側は普段此の様に枯れています
川の交差 断面
けやき 楠 今年は昭和96年巨木でも昭和の代でしょう
脇を砂川用水が分水され併行して走っています。明暦3年に武蔵野開発のため五日市街道に沿って開通されました。其の後柴崎分水が開通し現立川付近の農業、生活用水に利用されてきました。
この付近から暫く川は蓋をされて暗渠になっています(戦時中滑走路延長の為蓋をしました)
土手に咲いた花 ハナニラ?
ピンクの花自生?それとも誰かが植えたか?ムラサキカタバミ?
これはヒメジヨオン 雑草と言い乍ら素晴らしい花園を作ってくれます
西武拝島線の橋
玉川上水お散歩マップ