清水川 修
5月8日、今日も太平山の古道を探索しました。
菅江真澄『つきのおろちね』での下山路の探訪です。
「所々から旭川に激しく沢の水が流れ込み、鳴り響き波立つ淵の上に丸木橋をかけ渡し、断崖にははしごかかかっていた…」橋を渡っている人の先には仁別村への山道が続いています。図絵は国立公文書館DBからです。
旭川の渓谷は今もこのとおりの景色で、この人の先の山道に文化六年の年号のある11番の観音碑がありました。
11番観音碑の隣の自然石には「嘉永七年 太平山」と刻まれていました。
この日は仁別村側から旭又方面に遡上して観音碑を探しました。
古道探索も三日目になれば藪に分け入ったときに古道跡をすぐに見つけてしまいます。12番、17番、18番、21番、の観音碑を見つけ、旭又登山口では25番の観音碑を見つけました。
今の車道やサイクリングロードと違い、昔の道は遠回りになるけれども安全な場所を迂回していると思いました。