平井 英明
お盆中は殺生禁止。特に草刈りはご先祖様の足を刈り払い、帰れなくしてしまうので慎むようにとの風習に従い、静かに過ごしました。暑すぎてそれどころではなかったですが・・・。
昨日(15日)は、都内勤務の甥っ子が線香をあげに来てくれたのですが、先方が気を使い、庭先でのあいさつとなりました。久しぶりの懇談もなく、コロナ憎しの一幕でした。
北村 健治
10・11日は猛暑で雷雨なし。12・13日は猛暑で午後雷雨。ことに12日は14:00ころから3時間ほど物凄い雷鳴と豪雨でした。14・15日はまた猛暑のみで、16日は午後わずかに大粒の雨が降りましたが、ところによっては凄い雨と雷があったのでしょう。
10日より、猛暑の青梅で過ごしています。7月あれだけ雨が降っても、西東京の火山灰台地の上は、カラカラになって、草木も枯れています。
小生は、75年前のこの日(八王子は空襲でした)、新宿駅から父母に連れられて、信州駒ヶ根の父の実家に疎開しました。その後、数日や数箇月のことはほとんど覚えていませんが、この日のいくつかの眼にした景色と、1ヶ月ほどのちの秋祭りの打ち上げ花火を怖がったことを覚えています。
疎開して十数年間の父母との生活では、この日が疎開記念日であり、何年間かは母が雑炊などを作って、懐かしんでいました。
15日は、終戦記念日と言いますが、敗戦記念日ではありませんか。まだ、戦争の終わっていない人がたくさんいると思います。皆さんは如何ですか。連日のように新聞やテレビでは関連の記事や番組で賑わっていますが、戦後の数年間は、本当に大変な食生活であったことを忘れることはありませんね。
75年前のこの日、お昼には、父の実家に疎開した3家族が集まって、玉音放送を聞かされて、夕食は祖父母を中心にして、大勢で会食したように思います。
12日雷雨の後、青梅の自宅付近で、南東に現れた二重の虹です。