駒ヶ岳ファンクラブ

「駒ヶ岳ファンクラブ」は、日本各地の駒ヶ岳の豊かな自然を愛し、駒ヶ岳山麓の人と交流し、その山麓の文化に親しみ、日本各地の駒ヶ岳に登る」を目的とした会員からなる団体です。

秋田県7月豪雨による太平山の被害について

清水川 修
 太平山三吉神社では7月17日に分霊したご神体を里宮から奥岳山頂の奥宮に遷座し、9月17日に里宮にお帰りになります。いつからそんなことが始まったか定かではありませんが、その日程が変更になったことはありません。
 今回の大雨は太平山でも大きな被害が出ました。7月14日の午後からの大雨で、仁別から国民の森・旭又までの林道は通行止めになっていました。以下は山頂神社・参籠所の閉鎖作業時の聞き取りです。
 7月17日、秋田市内は住宅も道路も浸水して、高燥の土地以外は全域が水没状態でした。ご神体と一行はオーパススキー場上部の駐車場に車を止めて前岳経由で奥岳に向かい、山頂神社で令和5年の開山祭をおこないました。翌18日、太平山付近には雨雲がかかっておらず、奥岳から旭又口に下山しました。前岳までの尾根道よりも旭又・国民の森から仁別までの1kmの車道のほうが楽だろうとの判断でした。
 太平山については熟知している人たちばかりですが、こんなにひどいとは想定しておらず、橋の一つくらいは流されているだろう、くらいに思っていたそうです。旭又駐車場までの橋は二つありますが崩壊しており徒渉が大変で、駐車場までたどり着いてそこが河原と川になっているのを目撃した時、生きて帰れるだろうかと思ったそうです。たまにアスファルトの道路部分が残っていると大喜びですが20mも進むとまた崩壊しており、ヘツリに難儀したそうです。行動食は各自一食分だけで、仁別の集落に辿り着くまで旭又駐車場跡地から10時間以上かかりました。
 テレビのニュース報道の動画や魁新聞に掲載された写真はこの時の一行が写したものです。
 私は8月1日の菅江真澄研究会の講話準備で幸運なことに不参加でしたが、私が当日の参加者だったとしても前岳の山ヒルが嫌で14kmの車道のほうを選んでいたと思います。
 私は閉鎖作業に協力するため、8月4日から6日まで太平山にいました。スキー場上部の駐車場から前岳中岳剣岳経由で奥岳を往復しました。台風の熱気で暑さに苦しみ、秋田市も35度超えが続くなかの登山です。ヘリ輸送のためのダンボールを背負って、距離だけならば早月尾根なみです。ボランティアは総勢16名になり、みな太平山の危機に協力しました。
 この季節は前岳付近は山ヒルがひどくてたくさんの参加者がやられました。私は登山靴に張り付いていた四匹のヒルをやっつけて無事でした。木の上からも山ヒルは降ってきます。太平山が『高野聖』のようになるとは思ってもいませんでしたが、山ヒルの不気味さといやらしさは小説で描かれているとおりです。山中の江戸・明治時代の道だけが残り丸舞口と野田口からは何とか登れますが、それとて川筋の道も橋も流出して普通の人は登れません。6月初めにヘリで荷揚げした物資はまたヘリで荷下げします。山中に放置することはできません。コロナが落ち着いてたくさん登山者が来るはずでしたが残念です。
   山守の苦労切なし落し文
      百年に一度の出水(みず)や盆支度
 このたびの太平山で死傷者が出なかったのは、たまたまその時その場所に人がいなかったからにすぎません。  
 昨年6月末の大雪山旭岳登山の時も旭川市には大雨警報、洪水警報が出て結構な大水になり、登山中も風雨がひどく頂上直下で引き返しました。
 警報が出ているときは決して海山やスキー場に入ってはいけません。

令和5年7月26日の魁新報の記事