清水川 修
令和4年5月4日、太平山の古道を探索しました。
菅江真澄『つきのおろちね』の足跡探訪です。
「山の神沢を越えれば大山祗の社があった…」そこは広い尾根の上の広場で、なにか特別な雰囲気が感じられるところでした。仁別国民の森にほど近いところです。
前の写真の赤丸の部分の拡大写真です。
太平山三十三観音の七番です。ここが江戸時代からの道であることを示しています。
『つきのおろちね』の大山祗の社の図絵です。
国立公文書館DBからの引用です。今は藪だけです。
江戸時代の山路は明治以降も利用されており、こんな道標が所々に残っています。
雪が消えたばかりの今は藪がないので古道の痕跡をあちこちで見つけることができ、観音様の板碑などがあれば古道であることの証拠になります。
太平山前岳金山滝沢の右股を遡行すれば山伏たちの修験の滝があります。
写真は不明瞭ですが結構な大滝で、滝の下には三吉さんの石仏が置かれていました。
滝の右手の尾根を高巻きしたら尾根上に、明治二十五年の年号が刻まれた豊受神社の石碑が置かれていました。
今は藪が少ないので来れますが誰も知らない神社です。
藪こぎして登山道に出ました。