駒ヶ岳ファンクラブ

「駒ヶ岳ファンクラブ」は、日本各地の駒ヶ岳の豊かな自然を愛し、駒ヶ岳山麓の人と交流し、その山麓の文化に親しみ、日本各地の駒ヶ岳に登る」を目的とした会員からなる団体です。

太平山の古道を探索(その2)

清水川 修

 令和4年5月5日、今日も太平山の古道を探索しました。
 菅江真澄『つきのおろちね』の不動の滝探訪です。

「行く左手の岩に阿修羅明王が安置されていた。不動の滝は南に向いて高い岩の間から落ちていた…」今は右岸を高巻いていますが、真澄の時は川を渡って左岸を高巻いていました。図絵は国立公文書館DBからです。
 

滝を越えて、古道がある対岸に渡り、大杉のふもとにある古い観音像を探しました。
手袋をして手で土をかき分けて探し出しました。
「明和五年」の年号が刻まれているはずですが、確認できませんでした。太平山でもかなり古い石仏です。雪崩を避けるために元の土の中に埋め戻し、後日もっこを担いできて安全な場所に安置します。
 

雪渓をたどって838mの尾根まで登って帰りました。
奥岳と弟子帰岳を臨むことができました。

「気ままな散歩」 渋滞のメッカ?「大和トンネル」とは?

藤田 輝己

 今年の大型連休は、3年ぶりの制限の無い連休となりました。
 新型コロナの感染防止や、蔓延防止法などの自粛生活に嫌気を覚えた人も多く居たかと思います。
 自粛が解けると行楽地や観光地に繰り出すのが人情では無いでしょうか。
 そして車でお出かけの前には交通情報等を見聞するかと思いますが、テレビやラジオ放送の渋滞情報の中に必ず、「大和トンネル付近を先頭に○○㎞の渋滞中です」という放送を見たり聞いたりした方は多いかと思います。
 大渋滞を引き起こす「大和トンネル」とはどんな?トンネルなのかを気ままに散歩して来ました。

左側車線が東京方面(上り)、右側車線が名古屋方面(下り)、大和トンネルの出入り口。 山や丘に坑を穿ったタイプのトンネルではない事が分かります。 

東京側のトンネル出入り口の上部 

反対側、名古屋方面を撮影するとこんな風景。 

名古屋側のトンネル出入り口の上部

反対側、東京方面を撮影するとこんな風景。
 

東京側出入り口から、名古屋側の出入り口までが「トンネル」で全長280m、上部はこんな感じにフェンスで厳重に管理されている「大和トンネル」

 では、何故?ここに山に坑を穿ったトンネルでは無く、相模台地が広がる市街地に作られた人工的なトンネルと言うより、280mの地下道のようなモノがあるのか?
それは・・・・。上空を飛ぶモノがあるのです。

突然、現れたアメリカ海軍のヘリコプター。 飛行場に向かう機体 

アメリカ海軍厚木飛行場(厚木基地)に着陸態勢の飛行機

飛行機の進路上に滑走路が存在。 着陸態勢の飛行機。

以前は3車線でしたが、2021年7月からは付加車線(一番左側車線)が増えて渋滞解消の一助として4車線になるが・・・。

4車線に拡幅したトンネルの外側。

東名高速道路の側道のここは、引地川による河岸段丘の坂道、大和トンネルの名古屋方面の出口を出ると高速道路の下を大和市内が源流の「引地川」が流れています。
 右側の茂みの中は「泉の森」という自然豊かな公園になっています。

相模台地が続く市街地に、大和トンネルが出来た理由は、東名高速道路建設前の1961年1月に厚木飛行場から離陸に失敗した米軍機の墜落事故があり、尊い人命・多大な被害を出す事故があり、今後の墜落事故に備え、被害を軽減させるために天井が低いトンネル構造の大和トンネルが作られた理由とのことでした。地図で確認すると滑走路の延長線上に大和トンネルがあることが分かりますね。
 
 渋滞の理由は、東京方面に走行時はトンネルの手前から徐々に上り坂なっていることや、名古屋方面に走行時には、トンネルの手前にあるサグ部(下り坂から上り坂にさしかかる凹部)の存在などで、ついブレーキを踏んでしまうと言う事象で渋滞が起こるようです。
 明るいところから暗いトンネルに入ると、本能的にブレーキを踏んでしまう事や、地下道のような天井の低い構造のトンネル、道路のアップダウン等などが大渋滞の要因になるようです。 制限速度もトンネル内は100km/hr.に制限されています。

 アメリカ海軍厚木飛行場(厚木基地):厚木飛行場と言いますが、厚木市には属していません。大和市綾瀬市の二市に存在しています。

霧訪山に行ってきました

伊達 樹里

 4月25日(月)近所のグループとその友人など5人で行きました。
 塩尻駅で乗り換え、同じ中央本線小野駅という小さな駅から出発。
 霧訪山は、私が初めて参加した駒ヶ岳ファンクラブ望年山行で登った山で、沢辺会長が、歩かれていたころなので何十年前のことでしょう。季節は11月末か12月初めかで、霧の中だったような気がします。
 登り口から257段の階段を上ると、まだ木々が葉を茂らせていないので、眺望がとてもよくきいています。タムシバの花がピークを過ぎていました、
 登山道に突如現れた奇妙なパーティーは、長野県の山岳警備隊の方々で60キロのマネキンをおぶって登る訓練をしていました。これは連休前の訓練ということでした。
 山頂からは北アルプス中央アルプス南アルプス八ヶ岳、美ヶ原霧ケ峰など残雪のすばらしいパノラマが見られました。
 帰りは山の神自然園へ下るルートでカタクリが斜面にひっそり咲いてきれいでした。
 自然園からはタクシーで塩尻駅に向かいました。
 足もとには春の花、木々の芽吹き、残雪の山々の背景、と豪華な春山の醍醐味を味わえました。
 中央本線に乗るのも久しぶりで、上諏訪駅で途中下車。片倉館の千人風呂に入ってきました。

タムシバの花

救助訓練(60㎏のマネキン)

訓練も山頂で一休み

山頂で育てているというオキナグサ

北アルプス

カタクリ

いわうちわ

自然園のニリンソウと一人静

太平山の古道を探索(その1)

清水川 修

 令和4年5月4日、太平山の古道を探索しました。
 菅江真澄『つきのおろちね』の足跡探訪です。

「山の神沢を越えれば大山祗の社があった…」そこは広い尾根の上の広場で、なにか特別な雰囲気が感じられるところでした。仁別国民の森にほど近いところです。

前の写真の赤丸の部分の拡大写真です。
太平山三十三観音の七番です。ここが江戸時代からの道であることを示しています。

『つきのおろちね』の大山祗の社の図絵です。
国立公文書館DBからの引用です。今は藪だけです。
 

江戸時代の山路は明治以降も利用されており、こんな道標が所々に残っています。
雪が消えたばかりの今は藪がないので古道の痕跡をあちこちで見つけることができ、観音様の板碑などがあれば古道であることの証拠になります。
 

太平山前岳金山滝沢の右股を遡行すれば山伏たちの修験の滝があります。
写真は不明瞭ですが結構な大滝で、滝の下には三吉さんの石仏が置かれていました。
 

滝の右手の尾根を高巻きしたら尾根上に、明治二十五年の年号が刻まれた豊受神社の石碑が置かれていました。
今は藪が少ないので来れますが誰も知らない神社です。

 藪こぎして登山道に出ました。

高尾山から南高尾へ

谷 和代
 ゴールデンウイーク、今年は2日間か年休をとると10日間という長い休みになる人もいるのですね!仕事をしている頃は楽しみにしていましたが、今は、アーそんな季節かと思うだけです。
 清水川さんのワラビとゼンマイ採りいいですねー。
 私も今年は2回ほどワラビを採りました。(と言っても一度に採れるのは20本程度ですが?)
 5月2日、友人5人と高尾山から大垂水峠、そして南高尾の大洞山、中沢山を通り梅の木平に下りるコースを歩いてきました。
 甲州街道手前には、28日に見たクマガイソウがまだ綺麗に咲いていました。
 千葉の友人からは茹で竹の子をお土産にいただき、今日は新緑と花々を見ながらの楽しい山行でした。

高尾山から大垂水峠に向かう途中に咲いていたキンラン

オウギカズラ

大垂水峠橋(甲州街道を跨ぐ)

大洞山

新緑が綺麗

ヤマツツジ

中沢山

ジュウニヒトエ

ギンリョウソウ

眼下には津久井湖の一部と先日登った石老山が見えます

甲斐駒定点報告(5月2日)

平井 英明
連休後半は快晴でスタートですが、何故か肌寒く、2日は霜も降りました。
庭のツツジなどの花々もきれいで、木々の若葉も爽やかです。

甲斐駒定点

甲斐駒ヶ岳頂上付近

鳳凰三山も頂上付近に降雪があったようです。

八ヶ岳も頂上付近は白く、手前の畑も霜で白くなりました。

水路脇のサクラソウ

ブルーベリーの花

庭のつつじ

八重桜は散り始めました。

烏帽子山へ・雪形を観る

木本 桂春
 黒部奥山の前山、烏帽子山(1273m)へ。
 麓の嘉例沢森林公園へ雪が消えやっと道が整備され入山。
 標高700m少し寒いが天気は上々。1000m近くからは残雪の世界。
       

ブナの緑がだいぶ深くなってきた
   
 1240m前烏帽子山から越中駒ヶ岳の雪形が見える。
     

駒形は北駒ヶ岳に出る。左の平らが駒ヶ岳
  
 もうひと上りで烏帽子山頂上。黒部奥山の僧ヶ岳。この奥に駒ヶ岳がある。
    

頂上から僧ヶ岳、雪形が多いのだが右の魚津方向からしか見えない。