清水川 修
10月29日から4日間、菅江真澄の故郷と考えられている愛知県豊橋市まで行って来ました。
新潟県長野県経由の往復1,800㎞の旅で、高速道路の走行車線を走るB29のような大型トラックの後ろをゼロ戦のような軽トラックでくっついて、時々追い越したりして軽快に走りました。軽トラの性能と操作性が良いのに驚きました。ABSもエアバックも何もついていないので失敗したらおしまいだと覚悟しながら運転する気持ちは昔の戦闘機乗りと同じです。
菅江真澄が旅をしていた寛政から文化年間にかけて松平定信の後、幕府老中首座として活躍していた人は吉田(今の豊橋)藩主松平信明です。
帰りに長野県での真澄の足跡探訪をするつもりでしたが、間違えて高山方面に走り、また恵那山トンネル前での秋田では想像もできない大渋滞に巻き込まれ、松本の湯の原温泉、白糸の湯に入ることができただけでした。
番台のご婦人に「長野県民歌でいう、来る人多し筑摩(つかま)の湯、はここですか」と質問したらそうです、というので大感激でした。
若かりし日の菅江真澄と岡山県圓通寺の国仙上人の随員であったかもしれない良寛がここで出会ったかもしれません。