木本 桂春
10月31日6時半、外は真っ暗、鶏が鳴いている。雨が降っている。朝食会場は中国の旅行者でいっぱいで会話の声の大きさに戸惑う。
8時発、バスで翡雲廊へ向かう。入場にはパスポートを提示する。静かな森の参道をいく。これも蜀の道の一部を公園化したもので、三国志の英雄の像がある。
張飛のコノテカシワ植林の拠点地
翡雲廊のコノテカシワの並木道
コノテカシワの植林は自然災害から道を保全するためで、秦の始皇帝時代から三国時代を経て、明時代まで6回の植林がなされたという。ここを通る兵士の暑さ寒さ対策のためともされ、戦士の道であったが、2000年の間に街道周辺に住み付いた住民の生活の道でもあったのだろう。
雨の中でコノテカシワの巨木を見る
公園化された蜀道を出て、バスで漢陽へ移動する。小雨模様で石畳は濡れスリップする。この石畳は堆積岩(砂岩、泥岩)でこの道の周辺で掘り出され、加工して施工された。2000年の道は戦士、住民の往来と自然の作用により、表面が滑らかになっている。集中力をきらすとスリップ転倒する。
コノテカシワの巨木
昼食は各自支給されたものを持つ。ケーキ、肉まん、クラッカー、果物などを頂く。道のそばの民家から鶏の声が終日聞こえ、番犬も森の小鳥たちも鳴いていた。ここには三国志の英雄たちの像はない。
農村の新しい道
蜀の道は農村道と時々交差する。もともと蜀道は農民の道でもあった。写真に見える道路は習近平の農村の隅々までを豊かにする政策の一つで車の入る道へと整備したものだ。重機で掘削して、砂利を敷き、その上をコンクリートで蔽う、速攻型工事だ。
車が通るといろいろの作物が作られ、都市部へ輸送される。ビニールハウス栽培、田は青々とした四川野菜が一面に育つ。
コノテガシワと戯れる人・巨木は7人で一周
巨木にはNO.を入れて管理している根元は石垣で崩壊を防いでいる
昨日の人工化され人の多い観光地から見れば、誰も人を見ない道歩きは心がゆったりと落ち着く。
コースの終盤、道を覆うブッシュに立ち往生し、濡れた石畳の上り下りは疲れもあり、転倒者続出。終了直前についにけが人が出た。
今日の歩行距離はゆっくりと18kmであった。