清水川 修
令和3年7月3日、太平山野田口登山道の草刈りを開始しました。
今年はひとりで作業するので1日2時間だけの作業にしました。
4時間以上の作業だとふらふらになり、熱中症や事故の危険があるからです。
文化九年に菅江真澄は秋田藩士らとともに太平山登山をしています。その時の記録は日記『つきのおろちね』に詳しく記録されています。
娯楽のための登山は全国どこでも行われていたようですが、図絵と和歌と文章による登山の記録は『つきのおろちね』が初めてだと思います。
野田口登山道の入り口の図
真澄の図絵は野田口登山道の入り口の雰囲気をよく描写しています。
図絵は国立公文書館デジタルアーカイブスから引用です。
農業用水を供給する水道橋
真澄の描いた水道橋の場所に今も太平地区に農業用水を供給するために同じような水道橋がかかっています。この景色は登山口から遠望した太平山の雰囲気をよく伝えています。
通信106号で紹介した蔵王権現舞台岩です。
登山道の入り口にあります。刈払機と比べれば大きさがよくわかります。
残念なことに真澄はこの岩をスケッチしていません。
登山道の途中にある不動の滝の図絵
図絵では滝の左岸に登山道が続いていますが、今は右岸にあります。
不動の滝
7月17日、太平山三吉神社のご神体は野田口コースから奥岳に遷座されて、9月17日まで秋田県内を見守っておられます。
ご神体に同行する信者さんたちはこの滝壺で禊払いをされたこともあったといいます。
不動の滝は二段の滝で、ここから草刈りが本番
ここから直線距離で1キロ半くらいがジャングル状態で毎年苦戦する場所です。
これは刈る前の様子です。
刈り払った後の様子
写真ではよくわかりません。刈った本人は十分満足で今日はここまでです。
刈払機と燃料をデポしてさっさと下山しました。
ここは川沿いのコースで各所で崩落しており、ガイドなしでの登山は無理な登山道です。