北村 健治
我が家のある、青梅市東部の新町末広町地区は、江戸時代(17世紀)の旧霞(新町)村であり、西武蔵野の新田開発のメッカであった。
新田開発事業の代表的人物が吉野織部之介であり、彼らが地域の守りとして大和国吉野大権現を祀った神社が、現存の新町御岳神社となった。
新田開発事業の代表的人物が吉野織部之介であり、彼らが地域の守りとして大和国吉野大権現を祀った神社が、現存の新町御岳神社となった。
新町御岳神社一の鳥居
この手前に大井戸公園があり、地域最大の「まいまいず井戸」が復元されている(すでに紹介)。
新町御岳神社三の鳥居、奥に拝殿・本殿を望む
同境内の祀られている、塩竃神社
同境内に祀られている、水神社
同境内に祀られている、天神社
極めて珍しい「雹害記念塔」
これは昭和2(1927)年5月15日、この地方に子供の頭ほどの降雹があったとのこと。その記念塔の頭に雹の大きさを示す球形が見える。