駒ヶ岳ファンクラブ

「駒ヶ岳ファンクラブ」は、日本各地の駒ヶ岳の豊かな自然を愛し、駒ヶ岳山麓の人と交流し、その山麓の文化に親しみ、日本各地の駒ヶ岳に登る」を目的とした会員からなる団体です。

登山道整備に思う

平鹿 靖

 いつもありがとうございます。ブログを楽しく拝見しております。
 全国の山好きの人たちに見てもらいたいと思います。
 駒ヶ岳ファンクラブが永久不滅になりますよう願う一人です。
 ブログなど不慣れで写真の送り方も知らないので教えてください。
 今回は昨年の駒ヶ岳ファンクラブの秋田駒山行を一部手直しして送ってみました。

「登山道整備に思う」令和5年10月21日
仙北市ふるさとサポーター 平鹿 靖


 登山は自己責任の下、楽しむ運動であり、スポーツでもある。
 この度、地元駒ヶ岳へ登山をしてきましたが、登山道の整備が岩手県側と、秋田県側で整備について大きな違いを思うことがありました。
 私は、9月16日、17日、18日と行ってきましたが、17日に阿弥陀池から横岳を通り、大焼砂のコマクサを見ながら長十郎尾根を抜け、御坪分岐から下山をしてきました。

秋田駒・山頂を目指して

 (昨年9月時の報告から 撮影者は湯川さん)

 そこで感じたのは、下山途中に登山道の整備が行き届いていないことでした。
 下刈りはしてあったものの、その後の片付けが出来ていなく、登山者にとっては大きな負担となっています。
 当日は雨上がりの後でもあり、片付けていない刈りっぱなしの竹と笹が散乱しており、それに足を取られ、御坪分岐からは滑っては転び、転んでは起きの連続で二時間の悪戦苦闘の連続でした。
 登山道の整備がいかに重要か、整備事業者に聞きたいものと思いました。

秋田駒・ムーミン

(昨年9月時の報告から 撮影者は湯川さん)

 登山道の管理は複雑で大変であり、一般の登山者にはなかなか理解できるものではありません。
 一方、私たちも今一度、登山道とはどうあるべきか?考えてみたいものです。
 登山は、長時間歩きの有酸素運動で健康にも最適で、オゾンも沢山頂けます。
 安全な登山を行うには自分自身の体力と筋力を考えるはもちろん、登山道の整備なども求め、これからも大いに楽しみたいものです。

 

美ヶ原へ行ってきました

湯川 喜義
 今日(15日)は朝から雨です。
 雪が溶けてしまうのが気がかりです。
 連休中は町内の新年会などの用事があり好天にもかかわらず、どこへも出かけられずでしたが、連休明けの13日に美ヶ原へ友人と二人で行ってきました。
 雲ひとつない絶好の日和で絶景を堪能しました。
 しかし風が強く、雪片が頬に当たって痛い時もありました。
 今冬季の目標、東山三山(高ボッチ、鉢伏、美し)を達成です。

美しの塔

美しの塔へ

アンテナ群

 槍・穂

台上地と八ツ・富士

富士山

南アルプス(甲斐駒・北・仙丈_他)

中央アルプス(木曽駒_他)

御嶽

乗鞍

北アルプス北部

妙高_他

雪原を行く

王ヶ塔ホテル

記念写真

高尾山薬王院に疫病退散祈願に(1月24日)

伊達 樹里

 先月のことです。「1年生の孫が発熱、検査を受けてインフルエンザB型と言われたので、看病に来てほしい」「でも感染しないようにね」と言う娘からの連絡でした。
 10年前まで、「感染症の巣」の職場に勤めてくぐり抜けてはきたものの、今ではどう対応するのか戸惑うところもあります。
 幸い、1年生になっているので、抱っこおんぶはしなくていいし、少し距離をとっても大丈夫。リクエストしてくれればわかるので、食べたいもの、飲みたいものなどだしてあげて、突飛な行動に出ないかどうか見守るくらいでした。孫の看病ではマッサージをすることにしていますが、今回は控えました。
 次の日は、家族の都合がついて、看病しなくてもよくなりました。
 それで今度は自分の心配をしました。ウィルスをもらったかどうかわからないけれど、動けるうちにハイクに行って汗を流してこよう。アクセス便利な高尾山=薬王院だからきっとお参りすれば疫病退散に効果があるに違いない、と思い立ち、お参りを主な目的にして出かけました。
 ケーブルで登ったのは、小学生の時の遠足以来60年ぶりでした。
 そこから1号路でお参りの定番をたどります。

いつも見る飾りですが、谷さんの投稿は出来上がった姿で、その前日でした。製作の途中だったようです。

人はとても少ないのですが、滅多に来ない1号路は舗装路で心地よくありません。ふと見ると、階段がついている脇道があり、そこを入ってみました。初めて通る道です。よく整備されて気持ちよく歩けました。

ピークの上は園地になって碑がありました。

1号路を普段通らないので、地図上碑があることは知っていたけれど、見るのは初めてでした。

林野庁殉職慰霊碑

 また1号路に合流、その先にも修行の道の入り口がありましたが、閉鎖でした。
 そのまま1号路を進み、薬王院にお参りして、何とかウィルスに負けないように祈願してきました。
 霜柱が立っていて空気は冷たいです。
 そこで、山頂へ行く途中下ってきた人に「シモバシラ見てきました?」と尋ねると何人かが「まだ見られますよ」という答え。モミジ平への道で。予想より多くみることが出来ました。

山頂からの富士山 かすんでいるけれど、それにしてもこの場所に人がまったくいないなんて。

コウヤボウキのドライフラワー

わずかにみられたシモバシラの氷の花

同じくシモバシラの氷の花

 その後、娘もインフルにたおれ、次の週は4歳の孫が別の風邪にかかり、またもや看病に行きました。
 それでも薬王院のご利益か、私は何とかくぐり抜けて、日光スノーハイクに行ってこられました。

 娘一家が落ち着いて、ようやくリモートで画像の取り込み指導をしてもらえたので、大変遅くなりましたが、やっと投稿できました。

友人たちと日光スノーハイク

伊達 樹里

 2月3日から4日のスノーハイク第1回めは、キャンセルが相次ぎ、ファンクラブの参加者は伊達以外はゼロとなってしまいました。
 それで、以前に一緒にXCスキーをしたことのある友人2人、全く初めての人1人、計4人で出かけました。
 「今年は雪が極端に少ない」と言われていましたが、行ってみると、1日目はスノーシュー、2日目はXCスキーをと、予定を変えて楽しむことができました。

3キロコースの林で 太い「つる」が巻き付いています。

木の葉、草がなくて、よく観察できます。

天気が良く、空は青く、木々と静けさの中をゆったりと歩きました。

光徳沼付近のようす

花芽?をつけているカラマツ、リボンは戦場ヶ原5キロコースの印

逆川の流れ 一部凍っている。向こう岸の白いラインは夏のハイキングコース。

動物たちも雪を楽しんだようす。

足跡をたくさん見ました。

戦場ヶ原からみた男体山大真名子山、小真名子山

お猿はあちこちで見られました。この時が1番近かった―真ん中にいます。枯れてない草を探しては食べていました。
もう少し雪が積もるといいです。
 26日-27日の2回目をお楽しみに。

田浦梅林まつり

谷 和代
 2月5日の雪は我が家では2㎝ほどで、6日の朝には消えていました。
 2月2日から始まった田浦梅林まつりは今年69回目、我が家から見える旧梅林は吹き流しが風に揺れていますが、花が咲いているのかは分かりませんでした。
 今日(8日)は微風で暖かいので様子を見に展望台まで行ってみました。
 毎年1番早く咲く展望台脇の梅は3分咲きといったところでしたが、全体ではまだまだで蕾の木が多いように感じました。
 それでも、市の広報紙に掲載されていましたからか20組くらいの人に出会いました。

大六天宮の鳥居と吹き流し

鳥居手前でメジロに出会う

羽が草をついばんでいた

咲き始めた梅と東屋 

展望台脇の梅

展望台からの長浦湾

 右の島は米軍施設の倉庫がある吾妻島(箱崎町)で、新井堀割水路を船で渡るが一般の人は入れない。

能登地震・1ヵ月と能登の山々

木本 桂春
 1月1日の地震から1カ月過ぎた。
 常日頃、地震関連については関心を持ち、警戒していたつもりであるが、元旦の地震には、今まで通過してきた数々の危機とは全く違った恐怖を思い知った。
 地震から半月後の日記には「一月一日の地震から半月が経過、余震の数も少なく震度も弱くなってきた。しかし、こんなことが時々ある。昨夜も就寝中に余震なのか夢なのか体が揺れて気分が悪くなることがあった。
 一日の短い時間ではあったが、あの恐怖は身体の奥底から離れない。地球生誕から受け継ぐDENに恐怖が離れないのだろう。
 震源地の奥能登から60㎞離れた地に棲むものがこうなのだから、現地の方々の恐怖を思うと心は痛む。

 能登半島地震と山々に関連したことについてまとめてみる。
 話は遠い昔の事。
 伊能忠敬能登半島から富山湾の海岸線を測量に訪れたのは享和3年(1803)7月で、能登半島を測量し越中に入ったのは8月1日であった。この時、忠敬は地震の被災地の能登海岸線を忠実に測量して歩いた。
 能登半島方面からの富山湾の海岸線を測量して北上した。

日本地図を日本海側から見た、環日本海図(富山県作図)を示す。
 赤の×が地震発生の核心部に当たる。  
 ①目川の鼻は私の住む近傍の海岸線の地名である。忠敬がここから観測した、富山湾の対岸・中能登の鷲巣山(現在の千枚田南の小富士山)及び②奥能登の法竜山(現在の宝立山)を観測し、地図上に朱線を描いている。南面には③白馬岳も見ることが出来る。
 海岸線から珠洲市の奥能登立山は数十年間見ているが納得した山様を見たことが無かった。そこで機会があればこの山を登り能登から富山湾越に目川の鼻を観ようと決めていた。

2022年10月2日、早朝に車で珠洲市の奥能登・宝立山に向かう。

 富山湾側の海岸線を珠洲市街に奥能登中央部の珠洲大橋から登山口に着く。家から6時間経過した。
 車から登山道へ向かう。近くの黒峰大権現の祠をお参り、権現もおられない皿2枚。
 近くの宝立山・標高468m・一等三角点・点名;丸山・明治27年設置・ここには戦国時代に城あり。
 日露戦争日本海の見張り台、電波塔などがあったと記載。
 伊能忠敬も60㎞先の目川の鼻から観測した場所であるが今は藪に埋もれて、海も見ることが出来ない。

黒峰大権現の祠

点名:丸山・一等三角点
珠洲・奥能登の地理上の要衝、宝立山は消え入りそうな状態であった、この時は輪島の千枚田に近い小富士山は上らなかった。
 最近の報道によれば最大震度7地震震源地近い、宝立山付近は土砂崩れが目立つエリアとなっている。何百年続いた要衝の地は復活されるのだろうか。
 能登からの帰り道の珠洲市宝立町馬渡、能登町駒渡の字名が生きていた海岸線は住居の多い場所だが、山沿いの穏やかな地形には小川が流れ牧草地が生え、馬が飼育されていたのだろう。その馬力は人々に力を与え、支え続けてくれたのである。現在は乳牛が飼われているが苦戦が続く、頑張れ能登牛と祈るしかない。

能登の駒、馬の地名
 能登は復興に懸命である。正月元旦に自然に襲われ痛めつけられた多くの人がむずかしい復興に取り組んでいる、人々が安泰に住むことのできる野や山へ戻すのは永く遠い時間がかかるだろう。
 私たちは遠くからやさしく支えるしかない。
 駒に与えられた優しい馬力をわずかでも捧げ、宝立山登山能登の駒、馬の地の復興を願うばかりだ。

名物「 西穂ラーメン」を食べに西穂・丸山へ

湯川 喜義
 
 29日に「 西穂ラーメン」を食べに西穂・丸山へ行ってきました。
 家を出る時(7時頃)は-10℃、ロープウェイ山頂駅で(9時半頃)-7℃でとにかく寒かったですが、山は快晴微風で最高の日でした。
 朝一番(9時)のロープウェイに乗り、11時には山荘に着き、丸山の少し先まで行ってから引き返し、山荘で名物のラーメン(今回はみそ味)を食べました。
 (1,000円、細いちぢれ麺で塩気が濃かったです。)
 山荘までの道は、深さ膝くらいの溝で踏み固められていてはっきりしており、粉雪なのでアイゼンでキュッキュッと心地良い音で快適でした。
 朝一番のロープの乗客は50人くらいで、韓国・中国(台湾or本土かは不明)の団体が半分以上、日本人はスノーシューピッケルを持った若い人や観光と思われる年配の人がいました。
(山道に入ってからは、このスノーシューピッケルを持った人はほとんど見当たらなくなり、どこへ行ったのでしょうか?
 山荘から上で出会った人は10~15人でした。)
 帰りのロープは、韓国・中国(台湾or本土かは不明)の団体がほとんどでした。
(大型バスが何台も並んでましたので、雪を見たり触ったりできる人気の観光地なのでしょうネ。)

1 西穂・丸山/バックは笠ヶ岳・抜戸岳・弓折岳

2 西穂

3 乗鞍岳(奥)・焼岳

4 穂高連峰(奥・前・明神)

5 白山

6 奥に槍

7 霞沢岳

8 霞沢岳(下に上高地山バスターミナル)

9 巨大雪だるま

10 西穂ラーメン

11 ロープウェイ終点駅からの西穂(稜線右に黒くみえるのが西穂山荘)